あとがき

 

 

今回こうしてHPを作るにあたり、当時の闘病記録を読み返しては涙があふれるといったことを繰り返しながら

製作していました。

そして、私達はたくさんの人々に支えられ、レディは本当にたくさんの人から愛されていたことをしみじみと感じました。

 

私がレディと出会ったのは短大1年の時でした。初めて飼った犬であり、何もかも初めて経験することばかり。

1歳くらいになるまでレディはよく『うれション』をしました。これがまた大変で・・・

とにかく人が大好きな彼女は、来客があるとその喜びが絶頂になるのです。そしてちぎれんばかりにしっぽを振って

気付くと『じょろじょろ〜〜〜』・・・・

ちょろっと出るのではなく、ホント大量のおしっこをしていました。うれションはわざとじゃないので叱ったらだめだと

聞いて、どうにか人に会う前に興奮を抑えてそれから友達にも協力してもらってあまり興奮させないよう

静かに近づいてもらったりして。

いたずらはほとんどしませんでした。たまにゴミ箱のティッシュを咬んでクチャクチャにするくらいでしょうか。

今思い返してみても、それほど幼少期に苦労した記憶がありません。(全くないわけではないですけど)

気付くといつも周りから愛されていて、そしていつもそばにいる人に気を使って接する犬に育っていました。

とても優しい素敵な子になりました。

吠えることなど全くなく、強いていうなら子犬の頃、ふやかしたごはんが冷めるのを待っていた時に待ちきれなくて

「ワン!」と一声初めて吠えたこと。

そして大学の授業からレディと共に戻って来た時に、ベランダに干してあったジーパンがよほど怪しく見えたのか

「バフッ・・・」と一声吠えたこと。

そして友人がイタズラ半分にベランダの扉を外からドンドンドン!!と叩いたときに驚いて吠えたこと。

思い返してもその3回しか聞いた記憶がありません。それくらい静かで温和な子でした。

しかしそんなレディが眠りにつくと、わふわふ・ヒンヒン・・寝言のうるさいこと(笑)

普段黙ってる分ストレスたまってたんでしょうかねえ。寝たら8割くらい寝言で吠えてました。

その姿を見て、このHPのタイトルを思いつきました。HPの内容は決して「不満」ではないのですが・・(笑)

 

そんな子に突如襲いかかった病魔・・・酷すぎますよね。

 

当時幼い娘の育児と後足を失ったレディの介護、そして家事と3つをなんとかやりくりしていたのですが、

買い物や散歩に行くのが大変でした。マンションの2階に住んでいたので、娘を部屋の安全な所に寝かせてから

(当時はまだハイハイ程度だったので)まずベビーカーを1階までおろし、まだレディが階段を降りることが

できた時は一緒に下りてもらって下で待っていてもらいました。そして娘を抱えて下りてきてベビーカーに乗せて

出発。車にみんなを乗せて買い物に行った時もありました。

買い物を終えた後はまず娘を家に連れていって安全な場所に寝かせ、今度はレディを抱えて上がり、

買い物袋を持ってあがり、最後にベビーカー。

外出するたび階段を何往復もしなければなりませんでした。

歩行が困難となってしまった最後の数日間は娘が寝た瞬間にレディを抱えて1階まで下ろし、トイレを

済ませてからまた上がる。

胸を圧迫すると呼吸がさらに苦しそうになるのでできる限り前後ろの足を抱えて下りました。

レディの後足が麻痺してからのたった数日の介護は私から想像以上の気力と体力を奪いました。

レディはもっともっと辛いのに、情けない私は疲れ切ってしまいました。

ダンナに『職場のみんなには申し訳ないけど、仕事が終わったらすぐに帰って来て欲しい』と頼みました。

同業者だからダンナの立場は十分分かっていました。

すぐに帰って来いなんてなかなかできないのです。待っている患者さんがいるのに私はそれを見捨てて来いと言ってるのと

同じですから・・・

けどもう時間がないことが分かっていたので、少しでもレディの傍にいて欲しいという気持ちと、自分自身がもう限界に

近い状態であって、精神的に辛い状態でもありました。もう1人で抱えきれずにいました。本当に情けなかったです。

 

何ヶ月かしてから安楽死のことについてダンナと話し合う時間をもつことができたのですが、私はレディを安楽死させずに

眠らせたことについて後悔はしていませんでした。しかし、ダンナは違っていました。

いつでも安楽死させられる状況にあったのに、自分に実行する勇気がなかったこと、レディが苦しんで死んでいったことを

未だに「あれでよかったのか?」と迷っているというのです。

正しい答えはないんでしょうね。これはずっとずっと獣医師である間問い続けていく問題だと思いました。

 

本文中でも書きましたが、私達は断脚を何も考えずに実行したのではありません。

残せるものなら残したかった。けど、外見だけに囚われるのではなく、レディにとって最善の方法を考えて悩んだ末に出した結論でした。

手術をして、改めて作られた時間を得ることによって、少しずつ別れの準備をすることができました。

たくさんの楽しい思い出を新たに作ることができました。

 

このHPを読んで、同じ立場に立って辛い思いをされている飼い主さんや、獣医を目指す方達などに

少しでも力になれたら、参考になれたら、と思って書きました。

皆さんの傍にいる動物がその最後の呼吸を終えるまで、ずっとあなたのぬくもりを感じながら目を閉じることが

できますように・・・

                                         

                                            2011年3月 HP内容を一部変更

 

         

 

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